INDEX

はじめに
日本の裁判所と裁判の実態
日本には陪審制度があった
なぜ刑事事件だけに裁判員制度なのか
日本の犯罪捜査の実態を知れば、裁判員にはなれない
裁判員は、公判前整理手続きに参加しない
裁判員制度は憲法違反ではないか
裁判員になって冤罪づくりの手助けをしてしまう
民事事件、行政事件にこそ裁判員制度を導入すべき
日本のサラリーマン・ヒラメ裁判官
最も糾されるべきは裁判官と裁判所、そして、ひも付き弁護士
国民主権回復と確立のために司法との闘いを
おわりに
はじめに

私は現在、フランチャイズ・コンビニ問題の裁判をしております。いわゆる民事裁判ですが、過去七年間1審で争っており、裁判官はこの七年間で転勤等により三回も交代しました。
俗に「コンビニ問題」と言われる問題は、フランチャイズ本部企業による「騙し勧誘、不正会計による金員収奪、労働搾取」という大企業による犯罪行為、反社会的な行為であります。そして、このような社会的問題がいまだに世の中に放置され続け、新たな被害者や犠牲者が発生し続けております。
私は過去七年間の裁判闘争を通じ、裁判が開始された頃は、裁判官は当然正しい判断をしてくれるものだろうと信じておりましたが、時の経過とともに裁判所、裁判官に疑念を持つようになっていきました。
さらに、市民オンブズマンの一人として参加した、「地方自治体首長による公費不正支出問題」の住民訴訟でも、ことごとく裁判所の判断には失望させられました。 「この国の裁判はなんかおかしいぞ」と思いはじめたのは、私のこのような経験からであります。
「わが国の裁判は、行政や大企業にとても甘く、庶民にひどく辛い」というのが、私の率直な感想であります。私はこのような裁判を見過ごすことも許すこともできませんので、少なくとも自分の裁判については、裁判官にどう思われようが徹底して主張していくつもりです。わが国の裁判所や裁判官は、何かを基準として、どこかにお伺いを立てて裁判しているとしか思われない裁判をしております。「国民主権」という国家の成立要件を無視していると言っても過言ではありません。このような状況で、2009年から実施される「裁判員制度」があるべき司法の役割を担いうるものなのかどうか実に疑問であり、多くの方々にも考えていただきたいと思い、本書を発行させていただきました。
現在の日本の司法は、特に民事訴訟については、他の先進国と比較して最も裁判を起こしにくい束縛条件を強要されております。また、被害や犠牲の発生を防止するために迅速かつ、正しい司法判断が必要とされるにもかかわらず、これらを阻害するような司法体制や法的未整備状況が現存しております。これらの内容については後項において説明しましたが、日本の司法が私たち国民にとって本来あるべき司法となっていない、さらに、国際社会においても、司法後進国のひとつであるということは隠しようもない事実であります。
これから実施される「裁判員制度」が、わが国の司法が抱える抜本的な問題を解決できる制度になるなどとはとても考えられず、果たして何のための新制度なのかということについて私なりに述べさせていただきました。
司法が司法足り得ないということは、国が国足り得ないということであり、それは、国民の主権が主権足り得ないということになります。国民主権なき国家は、国家足りえず無法国家となってしまいます。
国民以外の誰かが恣意的に管理、統括する国は、もはや国民主権国家などとは言えない国家です。主権は国民に存するのであり、司法や行政に存するものではないという認識と自覚を、私たち国民は再確認しなければなりません。 
著者